妻子持ちで生活保護受給者となった私が嫌儲思想から脱却した日

嫌儲思想(けんもうしそう)とは?

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嫌儲という語句がどの程度一般的に使われているかはわかりませんが、検索には一応複数結果が出ます。ネットの書き込みなどから発生した造語のようです。

嫌儲家の主な特徴

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  • 行動に対して対価を求めることに抵抗や嫌悪感を持つ
  • 他者の利益追求活動を批判的、懐疑的な目で見る。または、批判する行動に出る
  • 営利活動に対して、潔癖の人が汚物に対して示すようなな反応を示す

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などがあります。

このような価値観や思想、行動パターンを「嫌儲バイアス」と表現する人もいます。

この傾向は日本人にとっては馴染み深いというか日本人の多くの心の一部になっているような、もっと言えば文化的背景に裏付けされた根深い思考パターンと言えるのではないでしょうか?

しかし今回のお話はそのような思想、行動バイアスを持つ人々がいいとか悪いとかを机上でジャッジすることからは距離を置いて、実際それなりに嫌儲思想家であった私が辿ったキツイ顛末とその反省から導き出した嫌儲思想の弊害とその処方箋について触れていきたいと思います。

嫌儲は普通の心理的防衛反応です

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まず初めに、嫌儲思想の正体は人間の心理でいう「本心を知られたくない」という感情的な反応がスイッチになっている防御反応であり、社会的利益を優先することでそれがひいては個人の利益につながるという道徳心とは全く関係のない感情的な営みであることはハッキリと申し述べておきたいと思います。

また、子供の頃から「お金は怖いもの」という一側面的な刷り込みを受けて育った人の固定観念もこの防御反応のトリガーになりえます。

嫌儲は思想ではなく感情(劣等感)の反応であるため理屈でこれに対抗するのは逆効果です。

それを承知上で、ちょっとだけ異論を唱えさせていただきます。

道徳心は利益追求活動のような一つ間違えば社会に混乱をきたす可能性のある活動の中でこそ発揮されるべきものであり、尋常の利益追求そのものを否定するものではありません。

富を生み出せるものは生み出し、それを支えてくれた周囲の人や環境に対してその恩恵を分かちあうことができれば、それは道徳的と言えるのではないでしょうか?

(おりしも、この記事を書いているのはクリスマスイブだったりします w

私が嫌儲思想から脱却する契機となった出来事

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以前の私は絵を描くことを生業としていたので典型的な労働集約型の働き方をしていました。

締め切りまでに納品物のクオリティーを可能な限り高めるため体力の限界まで働き結果、高評価を得ることができていましたし、それに誇りを感じることもできました。

いつも無理して心身共に限界を感じながらも関係者には笑顔で対応し、その対価として人並みに生活できる程度の金銭的対価をいただきつつ、低賃金でも頑張れる自分に酔いしれていました。(時給換算で月の平均時給が900円以下になることはザラでした)

自分より遥かに大金を懐に入れる業界の経済的上部構造があることは重々承知していましたが、その人たちのことはどこか別の世界の人と割り切り、不公平感をを紛らわすため不当に軽蔑すらしていたと思います。

これは明らかな嫌儲思想ですが、なんと私は約20年もの間この状態で働き続けてきました。

ですから、嫌儲思想の人の気持ちは実感としてよくわかるつもりです。

思考は嫌儲的でありながら、実際は稼ぎたくて稼ぎたくて寝るまも惜しんで年中無休で働いている。という心と行が矛盾した状態。

それでも幸か不幸か経済的にはなんとか回っていたのです。

慢性的生活苦から生活保護へ


.しかし、ある日急に5人家族の大黒柱という立場になり現実に直面しました。

慣れない環境の中で我武者羅に生活を盛り立てようとしましたが、今にして思えば大黒柱としては失策に次ぐ失策であったと思います。

家族を養うことは綺麗ごとや理想論では決して成り立ちませんでした。

私の場合、それでも嫌儲思想から完全に抜け出し切れないでいるうちに資金、体力、精神力が底をつき生活保護を受けなければならない状態にまでなってしまいました。

夫婦共々、身体を壊し満足に働けなくなってしまったのです。

これ以降、私にとってそれまで持っていた嫌儲思想は絵空事、若気の至りの青い青い、敢えて言えば足を引っ張られるだけの価値観となりました。

人は無限に働けない

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汗水垂らして働くのはかけがえのない経験です。(本当に価値ある労働に金銭的対価は必要ありません。)

しかし、お金を手に入れるためだけにずっと身を削り続けるのは間違っています。

間違っているというより、不可能です。

なぜなら、現代社会の仕組みではお金は生きている間はずっと必要なものだからです。

老いてからも、病気の時もです。

嫌儲家、3つのクラスタ

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嫌儲思想を抱く人は以下の状態であることが多いのではないでしょうか?
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  1. なんとか暮らせているが、経済的に豊かとは思えていない
  2. 経済的に自立していない、働きたくない
  3. スピリチュアルもしくは未来志向、もしくは自然派

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1は過去の私です。もしかすると最もボリュームがある層かもしれません。私がこの記事を書き宛てた人たちでもあります。

2はすみません。いまの私からは何もお伝えできることができません。

3は、もしかするとその信念が中途半端なのかもしれません。あまりにも遠い未来を夢見て現在を見られていない「中飛び」未来志向や、実際には土を耕していない机上の自然派だったりしていませんか?

農業を本気で志す人は私の身近にも複数いますが、私の知る限り彼らは自然界からいかに効率よく恵をいただくかを日々体を張って試行錯誤する本物のエコノミストで、嫌儲とは真逆のリアリストです。
スピリチュアル思想の方で嫌儲家は多いですが、これに相反して経済的成功者にこぞって群がるのもこの界隈の人たちの顕著な特徴のようにお見受けします。(辛口ですみません)

以上、人をカテゴリー分けするのはあまり好きではないのですが集団の傾向から心理的に何か見えるものもあるのではないかと思います。

上記1であった一人、私の失態を晒します

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典型的な1であった私に不足していたのは経済観念云々以前に、

先を見通し、そこにリアリティを感じる力(自分の判断を信じる力)と、自分とは違う生き方をする人たちへの関心と理解だったと思います。

そしてもう一つ、
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「クリエイター様(笑)」である私が金銭の多寡に一喜一憂するなどあってはならぬ事なのだー!

その私が金銭を稼ぐとしたらそれは、とーってもクリエイティブな方法で、人も羨むような理想的なビジネスでなければならぬっ!

そしてそれは、儲けを目的としたものでなく、あくまでも好きなことを追求しイノセントな気持ちでピュアーな想いを形にしたら偶然大きな利益になってしまった。
… という、いかにも天才!という風に見えなくてはカッコ悪い!

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と、ものすごい痩せ我慢をしてきていたのも付け加えなければならない事実です。(自分に大して才能がないことを、自滅するまで認められなかったんですね w)

見事なまでの「ハダカの王様」っぷりです。

そして何より、これほど人を見下した態度もありません。発想が子供染みていて本当に恥ずかしい。

単に実力がなくて稼げないのを、稼ぐことはカッコ悪いことだという風に歪曲し(これこそが嫌儲)その歪曲の事実から逃れるために更なる事実のねじ曲げが必要となり虚栄に走って本来の自分の身の丈が分からなくなり、何か意識が高いような気分に浸って劣等感を誤魔化しているうちに家族を巻き込んでどん底まで貧しくなってしまうなんて笑えません(笑)

こんな私がすごく貧しくなったのは当然のことなのです。クズですから。

そしてやはり、その愚かさのもっとも顕著な表出が私の場合、嫌儲でした。

私ほどのおバカは珍しいかと思いますが、うっすらと心当たりのある方はいらしゃいませんか?

もし少しでも心当たりがあれば、ほんの少し立ち止まってみるのもいいかもしれません。

自分の思考が嫌儲に偏り過ぎていたために大事なことを見失っていた。と気づいた時には時間を含めた結構多くのものを失っているかもしれません。私のように…

嫌儲への過度の傾倒を避けるにはこうすればよい!

という具体案を出せる立場にはありませんので、この失態晒しを処方箋に変えさせていただければと思います。

終わりに

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私自身、個人で持続可能な経済活動の確立に至るには、まだまだやるべきことの多い身ではありますが第一歩は踏み出せているのではないかと思っています。

持論をつらつらと書き綴ってしまい、経済的状況の向上に対し何か具体的な方策を期待されていた読者の方には期待外れであったかもしれません。

今後ビジネスについての具体的な事例を紹介するにあたり、私がなぜそういった情報を発信するのかを表明しておきたかったのでこのような記事をアップさせていただきました。

この記事が少し前の私と似た状態の人に届いて、一日も早くモヤモヤとした先行きの経済状況から脱却するためのほんの少しの後押しになれば幸いです。

上記は全て私の個人的経験を元にした持論の吐露です。行きすぎたコーポラティズムや拝金主義を肯定するものではありません。

ABOUTこの記事をかいた人

神奈川県出身、京都在住。 京都府移住の前は東京都で15年間エンターテイメント系のクリエイター業を営む。結婚を機に京都に移り住み、SPACEやおよろずの活動を始める。