フェリーありあけの思い出

韓国で船の事故が起き、修学旅行の高校生を含む200人以上の方々が安否不明。

高校生の保護者の方々が不安をあらわにする様子が伝えられた。

同じ高校生を持つ身として、これが自分の子に起きていたらと考えると、
親御さんの気持ちは計り知れないものがある。

もう6年前になるかな?
夏休みに子供たちを連れて約3週間ほど、まったく計画を立てない旅をしたことがある。

伊勢神宮~名古屋~河口湖~新潟~山形~熱海~伊豆大島~熱海~浜松~
東京

当時まだ2歳の末っ子を抱っこし、移動の電車の中でもかまわずおっぱいを飲ませながら
気の赴くままに「行きたい」と思った場所へ好きなだけ滞在し、
いよいよ東京から飛行機で沖縄に戻ろうとした時、世の中ではお盆の真っ只中で
飛行機はどの便も満席状態。

そこで有明からフェリーで那覇へ向かうことに。

もともと船が好きじゃないので、フェリーなんて乗りなれていない。
夜に出発するその船に乗るため、フェリー乗り場へタクシーで向かうと、
着いた場所は暗い、だれも居ない建物だった。

「あのタクシーの運転手、ぜんぜん場所知らないじゃん!」

と怒りとむなしさをかみ締めながら、地図を頼りにそこから歩いてフェリー乗り場を目指した。

どこかで渡辺美里の野外コンサートをやっているみたいで、
歩いている間じゅう、「My Revolution」のナマ歌が聞こえていた。

なんとかたどり着き、ようやくフェリーに乗り、そこから3泊4日かけて那覇へ。

3泊4日の船内生活は、退屈と空腹でひたすら寝ていたような気がする。

小学生だった二人の息子は、甲板で大はしゃぎしたり、ゲームコーナーで暇をつぶしていた。
次男は甲板から、帽子とサンダルの片方を海に落とした。

同じ船室には4組ほどのファミリーが居て、小学生はほとんどDSをやって時間を潰していた。

この時ばかりはDSというものが神器に見えてしまうほど他の子供がおとなしく過ごしていて、
何もないうちの息子たちの退屈しのぎに神経をすり減らした。

売店に売っているのは、お菓子とカップラーメンで、4日もその食生活をしていたことになる。
鹿児島沖あたりが揺れが大きく、船酔いもした。

ようやく那覇に降り立ったのは朝もやの早朝。
甲板からサンダルを落としたせいで、片足だけ裸足で船を降りる次男に、
後ろにいた男性が

「ほら、これ履け」

とぶっきらぼうにスリッパを手渡し、足早に去って行った。
すごく有難かった。

もう一度あの旅を、と言われてもきっと無理な話だし、もうフェリーには乗りたくない。
でもあの旅は、私にも子供たちにも一生の思い出になっている。
2歳だった娘だけは、ほとんど覚えていないんだけどね。

そのフェリー「ありあけ」は、数ヵ月後、三重県熊野市沖で転覆座礁事故により姿を消した。

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